無名音楽家アブロニカの戦慄なリアルと最前線

ヒップホップ・ポストロック・エレクトロニカを主軸にしたラッパー&トラックメーカー、アブロニカのこれからを赤裸々に書き綴り。 日本中の90%を占める底辺音楽家のリアルと実情、日々思うことを書き殴ります。まれにDISリスペクトな記事あり。 無料の楽曲DLが受け取れるフリクルメルマガ配信中 http://frekul.com/artists/profile/call-it-anything

カテゴリ: 音楽活動

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とっくに終わってしまった漫画にあーだこーだ言うのもなんですが、実写映画にまでなって音楽系漫画としては異例のヒットを記録したこの作品…BECK。音楽をやっている人間なら読んだ人もいることでしょう。初めは面白く感じたものですが、今思うとこの漫画は駄作にしか見えませんでした。自分はこの漫画に関しては割とアンチ寄りなんです。

リアル指向でありながら内容はただのファンタジーだという中途半端さ。
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まずこのコマ。コユキの歌声で会場が呆然とするシーン…これがあまりにファンタジーすぎる。ギターを初めて練習に夢中になるシーンや、バンドの一体感が段々と出てくるという現実にもありがちなシーンが出てくる中、なぜここだけリアルじゃないのかが中途半端に思えてきてしょうがなかった。

いくらなんでもボイストレーニングをしているシーンがあってもいいのに34巻という長いストーリーでそういった描写は一度も無い。しかも彼の歌声はロックの本場でもあるアメリカやイギリスの人達ですらも黙らせるぐらいの説得力をもっていた。

現実的に言えばこのコマはありえないくらい浮世離れしすぎていてついていけないし肩透かしをくらってしまう。リアルさを追求するのであれば、ぶれることなくとことん現実主義的なスタンスを貫いてほしかったというのが率直な感想。
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また、この漫画はロキノン系やパンク系、ミクスチャー系のバンドをもち上げつつ、ヴィジュアル系とメタル・ハードロック系のバンドやアーティストの扱いがギャグキャラ、もしくは悪役的なポジションにしている設定が妙に気に障ったし、作者のひいきぶりが目に見えてしまうのが好きになれず…この点も嫌いになってしまう要素の一つでした。音楽を題材にするのであれば、どんなジャンルにでも良い音楽は存在するという当たり前の事実を主張してほしかったかな…。
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そして、コユキの師匠でもある斉藤さんの恋の行方とかいう音楽に関係がなく、正直どうでもいい話しを最終巻あたりまで引っ張っていったのがくだらない演出にしか見えませんでした。こういう話しは数巻程度に収めておいて、あくまで全体の内のサブストーリーという扱いが丁度いいポジションになるのに、シリアスな話しも書けますがギャグ描写も出来るんですという作者のスキル自慢しか感じられなかったのが残念。この部分を削って、BECKのストーリーの内容を濃くしてほしかったですね。

ロックの名盤を探るのには適した漫画
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この漫画はタイトルページに洋楽・邦楽ロックのジャケットをパロディーにした一枚絵が描かれているので、元ネタと見比べてみるという一つの楽しみがあった。BECKの素晴らしい点はこのパロディーの元ネタになったアーティストを知ることが出来るという点。

しかも題材にした作品にハズレはないです。ここら辺は作者のセレクト感のセンスが光ってて良いなと思います。思えばランシドやレディオヘッド、ナンバーガール、オアシスなんかはこの漫画の影響で聴き込んだ記憶がありますし、一度は聞くべきロックの名盤的なガイドラインにもなっているのがこの作品の魅力だと言えるでしょう。アンチではありますがこの要素は素晴らしいと今でも思います。

という訳でBECKは本当に名作と言えるのか?と今一度考えてみた記事でした。リアルな漫画はどこまでもリアルであってほしいものです。では今日はこの辺で。

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考えてみれば音楽史に残る名盤を作り上げたアーティスト達のプロデューサーってベーシストが多くないですか?亀田誠治(彼の場合はアレンジャーですが)岡野ハジメ、故・佐久間正英、明石昌夫、デイヴ・フリッドマン、彼等はプレイヤーとしては皆ベーシストです。もちろんベーシスト以外にも優れた手腕を発揮するプロデューサーがいますが、音楽を作るための総指揮的なポジションで在りたい…そう思うのであれば、ベーシストを目指してみてはいかがでしょうか?

ベースの性質がプロデューサーというポジションを形作る。
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ベースというのは実はピアノと同じ性質があるのです。ピアノは一人でもオーケストラを奏でられるようにという前提のもと作られましたが、ベースにも似た様な性質があるのです。
8分音符刻みでルート音(その楽曲の最も低い音)をピッキングし続けて、重厚さが演出できるという縁の下の力持ち的な一面と、メロディーラインも奏でられるというリード楽器的な要素も含んでいますから。それに加えてやろうと思えば和音も出すことも可能です。
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つまり、音楽の三大要素である全てを奏でられるのがベースという楽器なのです。これはオーケストラの全パートを指揮する指揮者と同じだともとれます。その3つの要素を知り尽して音楽の全体像を把握できるのがベーシストの特権。プロデューサーを目指すならベーシストを目指せというタイトルにはこういう意味があったという訳です。

それではピアノじゃダメなのかという意見もありますが、ピアノにはベースの低音部分を補うことは難しいのです。鍵盤楽器の低音と弦楽器の低音を比べればやはり主張が強いのは弦楽器に分があります。そしてベーシストにはギタリストやボーカリストと比べて目立ちたいという願望より、全体を支えたいという思考をするタイプの人が多いのです。

それは正にプロデューサーに必要な考え方であって、初めに書いた人達はベースを弾いていくうちにプロデューサーとしての在り方が身に着いた結果なんだと思います。という訳で、ベースは地味な楽器だとネガティブな感情を持ってしまいがちなベーシストの皆さん、実はベーシストは楽曲の制作の監督になれるという一面があることに気づきましょう。それは他のパートのプレイヤーには中々ない長所なのですから。では今日はこの辺で。
 


今までの記事でラップのフリースタイルの練習方法はどうすればいいのか?これについては、過去に記事にしてみましたが、遂にこういった教則本が出るにまで至ったのかと思うとフリースタイルラップというものもギターやドラムスの様に一つの楽器やパートとしての地位にまでなったんだなと思います。

ラップに教科書って必要?

さて…こういった教則本が出るとラッパーの大多数はこう思うんじゃないでしょうか?「ラップに教科書は必要ない!!誰かに教えてもらったり、練習とかするもんじゃない!!」…と。何もない状態から先人たちが築いてきたシーンがあるという事実を前提にしたうえで、教えてもらうべきではないことを教えてもらうことに異議を申し立てる人たちというのはどんな分野でもいつの時代でもいるものです。

そもそも人様から習うこと…教室を開いて練習をすることはどうして恥ずかしいのでしょうか?それはたった一人でスキルを培ってきた人 からすれば集団で練習をする行為自体がダサいと思うからでしょう。そして一種の甘えにも見える…そういった理由もあるんだと思います。これは完全に主観的な考えですし、良く言えばストイック、悪く言えば独りよがりだと解釈できます。

誰かに教えてもらうことは恥でもなんでもない。

これには段階があります。それは何もない状態からのシーンの活性化、そして敷居が低くなり、第三者が介入しやすい世界が作られていく。興味のある人間が増えれば増えるほど、誰かに教えてもらったり練習会にいくことは恥でもなんでもなくなるという3段階に分けられます。

例えば演歌がそうです。昔は演歌を歌うための歌唱法というものは確立しておらず、独学に近い状態で訓練を積み重ねて、歌の技量は盗むものだという考えが浸透していたのですが、今では発声の仕方について歌の先生にボイストレーニングのやり方を学ぶことは何ら恥ずべきことではありません。

ギターもそうです。昔の時代ならまだしも、今の時代にギターの弾き方を教わるなんてダサいという人は1人もいませんし、自分の専門外のジャンルの習得を目指すために その道の講師から弾き方を学ぶことは実に効率的で有効な手段です。

ですからフリースタイルのラップもいずれ、上記の様なケースに当てはめられていくのはもはや必然と言えるでしょう。 よくよく考えてみればこんなに便利なことはないのです。なぜなら1000円ちょっとで数々のMCバトルで功績をのこしたMCと対話する様な感じで練習できるシチュエーションをゲットできるのですから…。そう考えると一度は目を通してみてもいいのでは?と思います。

 
ラッパーのゆうま氏が主催しているバトルの練習会「ゆうまーるBP」なんかも開始当初は批判もあったかと思います。確か戦極スパーリングでMCニガリがバトルの練習すんな馬鹿とDISってましたしね…。しかし何か新しいことを始めようと思ったら必ず批判を浴びるものです。

しかしその批判を乗り越えた先にシーンの拡大が行われる訳です。いつだって時代をアップデートしてきたのは批判をものともしない人達の精神あってこそ。ヒップホップだって誕生した時期は、他人のレコードからフレーズを盗んで喋ってるだけと非難を浴びましたが、今更そんな批判をする人間はいませんよね?

MCバトルも同じことで影響力が強まっていくと新規参入を試みる人たちが大勢いるわけでその集合体が一つのシーンとなるのです。晋平太のこの著作はまだ未発売ではありますが、読者がどんなレビューをするのか…楽しみでしょうがありません。自分もちょっと読んでみようかなと思います。では今日はこの辺で。

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今は2016年…それもあともう少しで終わってしまいますが、今の音楽CDランキングと10年前のランキングを見比べた記事が面白いのでリンクを貼っておきます。
2000年代と2010年代のヒット曲、比べてみたら驚いた

カーソルを移動してみると10年前のランキングと今のランキングが画面上で変化するというちょっと面白い試み。正に一目瞭然ですね。
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大体他の年も10年代以降はAKBが独占している状況です。あなたはこの状況を見てどう思うだろうか?音楽業界はもう終わってるの一点張りでしょうか?個人的な意見としては、CDは音楽そのものの良し悪しを決める基準にならなくなったということです。オリコンはもはや物量の大小しか判断していません。しいて言ってもiTunesのランキングの方がまだ音楽的に評価されてる一面があると言えます。

CDが売れている=良い音楽ではない。
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甲本ヒロトの発言で有名な一節があります。「売れているものが良いものなら世界一うまいラーメンはカップラーメンだ」

つまり、音楽も同じで名曲かゴミ曲かは単純にCDの売上だけでは決められないということです。一枚のアルバムがどれもこれも2000円弱ですが、どの作品もその価値があるとは一概に言いきれませんし、リスナーが記憶に残ればそれ以上の価値があるし、3日たったらもう覚えていないという作品は文字通り駄曲だと言えるでしょう。

CDの売上ランキングの要素はレコード大賞の基準から外すべき。
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色々と審査内容が問題になっている日本レコード大賞ですが、どの作品が選ばれるかは作品の売上という数字の要素も一つの基準になってくるでしょう。しかし、AKB商法の影響を考慮するとCDランキングの順位や売り上げで決めるべきではありません。

上記で書いたように、CDはもはや音楽作品ではなく体験を得るためのチケット…もしくは音のでるフライヤーというポジションでしかない訳です。今の時代に適した審査基準を設けなくては、一番金を儲けた作品が芸術作品として優れていることになってしまいます。

本来レコード大賞というのは、作品のオリジナリティーやポピュラリティー、アート性を総合して評価することを念頭においているはずですが、今の受賞作品を見るともはや形骸化している感が否めません。そうなっては辞退するアーティストも出てくる訳です。

記憶に残る作品を作ったアーティストが評価される時代は来ないのか?
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記憶と記録という2つの点で大きな成果をだしたアーティストは言うまでもありませんが、良い作品を作ってはいるんだけど、大衆に触れる機会が訪れず、後になって評価されたという作品も数多く存在します。または大して評価はされていないけど、ある特定層のリスナーにとって重要な存在となるアーティストだっていることも事実です。

しかしそういった音楽家達は音楽だけではまともに生活が出来ないケースが圧倒的に多いです。そういった評価されるべきアーティストは一定のレベルでの生活が保証された環境にいることが出来たら、より優れた作品を生み出せる訳です。これは正当に音楽が評価されるために重要になってくる一つの土台でもあります。

好きこそものの上手なれ…音楽だけでなくどの分野でも多くの時間を好きな事に費やした人間が優れた作品を作れるものですが、中々そうはいかずに、記録だけ残した音楽達が頻繁に顔をだす世の中だと、そういった音楽が芸術だと認識されてしまうんですよね…。

これからの音楽業界でCD商法に代わる新しい稼ぎ方は未だ誰も発明できていませんが、リスナーを育てるのは自分達だという意識が今後新しい時代を開拓するのに大切になってくる時代だとは思います。「馬鹿なレコード会社が馬鹿な音楽を量産して馬鹿なリスナーを増やすのさ」というフランク・ザッパの発言通りになってる状況ではあるんですが。では今日はこの辺で。
 

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出典:www.cinra.net

音楽をやっている人なら、ジャンル一切関係なく彼が記した文章を見てほしい。そんな考えがあったのかと感嘆し、そして感動します。心が揺れ動く内容になってるので、マジで必見です。
やめなくてもいい音楽

リンク踏むのが面倒くさい人向けにしっかり引用していきますよ。

やめなくてもいい音楽

最近は20代の若いグループの音源のMIXとマスタリング、30代後半のバンドの録音を手伝っている。そして、これから一緒に仕事を始めるバンドの楽曲についてもあれこれ考えている。そのバンドは俺と同じ世代だ。

ここのところ、よく考えるのは「やめなくてもいい音楽」について、だ。

大体のバンドとかミュージシャンは売れない場合、解散とか廃業ということになってしまう。彼ら自身がそれを選択していたとしても、どこかしら産業や社会の構造から要請されているようにも感じる。でも、これは、これまでの音楽のあり方、というかここ数十年の音楽のあり方のひとつだった「だけ」なのではないかと俺は思う。


新人として若い子たちがメディアやレーベルからフックアップされて、(ヒットという意味で)売れなければ放り出されて、ともすると彼らは音楽をやめてしまう。メディアやレーベルはあまり変化せずに、作り手たちだけが入れ替わって行く。中には売れて、いつまでもそこに留まる人たちもいるけれど、細胞の組織はそのままに構成する物質が入れ替わり続けるように、ほとんどのミュージシャンは交代する。


その関係の良し悪しについては、よくわからない。

「メジャーレーベルはクソ」とか言うひともいるけれど、メジャー/インディを問わずクソな現場も最高な現場もある。インディーズ・レーベルがミュージシャンから行う搾取がないわけじゃない。大きいレーベルのほうがフェアなことだってある。それは構造の問題じゃなくて、人によるところが大きいと感じる。なんとなくの言葉で一般化して語ることが本来は難しい。


俺が今一緒に仕事をしているミュージシャンたちは、それぞれに仕事を持っている。音楽寄りの仕事をしている人もいれば、まったく音楽とは関係ない仕事をしている人もいる。食うためや養うために働いている。時間をやりくりして、音楽を作っている。だから、それぞれの予定を合わせて録音のスケジュールを確保するのにも一苦労だ。予算も潤沢にあるわけではない。


強迫観念のようにやってくる産業のような性質、資本主義的な性質と向き合えば、精神がボキボキのクタクタになってしまう。俺だって、そうだ。


それでも鳴らしたい音楽があること。これは素晴らしいことじゃないかと思う。一緒に作業しながら、例えばギターの音色、アンサンブル、メロディ、言葉選び、あらゆるところにいちいち感動する。録音されて行くのは「音」だけれど、それぞれの想いとか、生活とか、愛とか、誰かに売り渡せない尊厳のような何かとか、そういったものを収めている、あるいは抱きしめているような気持ちになる。泣いてしまいそうになる。


売れなかったらやめなければいけない音楽とは何だろうか。

もちろん、せっかく作ったから、少しはチヤホヤされたい。いろいろな正しい間違いが重なって大ブレイクしないかしらと思ったりもする。売れている人を羨ましく思うこともあった。それでも、有名になるために音楽をしているのかと問われれば、それは違うと答える。


音楽を作るのが好きで、これがやりたくて、音楽を作っている。それを人前で演奏するのも好きだし、演奏した後で拍手や歓声をもらうのも好きだ。すべてのスケベ心をどこかに追いやることはできないけれど、何かしら、間違えてはいけない順位が俺のなかにはある。彼らのなかにもある。音楽やバンドは目的であって、手段ではないのだ。


時代は変わって、俺らの目の前にはインターネットという巨大なライブラリが存在する。このなかでは、例えば絶版や廃盤がない。CDや本にしなくたって、誰かに何かを届けることが可能になった。ある種の権威や、権威を笠に着るバカや、業界人や、CDや書籍にする作品を選ぶ人たちに選ばれなくても、作ったそばから、自分たちで音源をネット上に公開することだってできる。これは本当に素晴らしいことだ。


そして、俺がここに書きたいと思ったのは、産業の構造とか、音楽の未来とか、なんかしらのヒットの法則とか、そういうことではなくて、エールだ。人の生き方にはいろいろあるけれど、挫けずに、あるいは挫けながらも、音楽(俺は独善的な人間なのですべてではないけれど)を作り続けているひとたちに「Yes!!!!」と言ってまわりたい。けれども、それは無理なので、ここに書いている。


誰の悪口も言わずに、ただ「Yes!!!」と言いたい。

勝手な想いだけれど、続けてほしい。やめなくてもいい方法をどうにか見つけてほしい。それが案外、この国の文化にとって豊かな土壌になるような気がする。そして俺は、リスナーとして、そういう場所から鳴らされる音楽を楽しみにしている。

もう一度、書こうと思う。

Yes!!!



長いと思わないでほしい。今後の音楽家にとってはとても重要なメッセージになることは間違いありません。想像力を働かせてみればすぐ分かることで、売れてる売れてないにも関わらず、誰でも音楽を辞めてもおかしくありません。しかしこの考え方はある意味盲点でしたね。人気を得たい…売れたい…そんな願望を持っているミュージシャンは多くいますが、やめなくてもいい音楽活動というのを提示できるアーティストは少ないのではないでしょうか?


続ける事が何よりも難しい。

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音楽活動をしていく上で最も難しいことは何でしょうか?それはメジャーデビューでも武道館ライブでもヒット曲をつくることでもありません。そう、長いスパンで音楽を続けるのが一番難しいのです。だからこそ、本当はそこが最も評価されるべき点ではあるのですが、資本主義が世界に浸透してしまっている以上、どうしても結果を出すことに重きが置かれています。


アジカンのゴッチのこの発言はそういった、世相とはまったくの真逆の状況を指していますが、今の時代、お金を稼ぐ点も大事ですが、音楽を長く続けていく為の土台作り、やめる必要のない音楽業界を目指すことで音楽家にもセーフティーネットが形成される…これから求められるシーンというのはこういう優しさと豊かさのある世界ではないでしょうか?


結果をだせずに契約を切られたり、歳をとるごとに音楽への情熱が失われたりと、音楽を辞めていかなくてはいけない理由があふれている世の中ですが、ゴッチの考え方がもっと広まってほしいですね。音楽をやる事自体に罪はないのですから…。では今日はこの辺で。


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