無名音楽家アブロニカの戦慄なリアルと最前線

ヒップホップ・ポストロック・エレクトロニカを主軸にしたラッパー&トラックメーカー、アブロニカのこれからを赤裸々に書き綴り。 日本中の90%を占める底辺音楽家のリアルと実情、日々思うことを書き殴ります。まれにDISリスペクトな記事あり。 無料の楽曲DLが受け取れるフリクルメルマガ配信中 http://frekul.com/artists/profile/call-it-anything

2016年07月

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著作者 udithawix

あなたは遅刻を許せる派ですか?許せない派ですか?楽曲制作やブログの執筆で夜更かししてしまうとたまに寝坊してしまうのが自分の悪い癖なんですけど…自分は許せる派でいたいんです。

自分だって遅刻はする。だから相手が遅刻したら別に気にしないスタンスでいく。ただこれは2人で待ち合わせするならいいんですが集団行動で一人だけ遅刻したときのあのプレッシャーったらないですよね。団体行動であればあるほど時間にはシビアになりますから。あの状況である意味鈍感でいられたらなぁと思ってます。

遅刻に対する考え方を変えてみる。
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著作者 i k o

そもそも何故遅刻をしたらイライラするのか?映画の上映時間やリハーサルスタジオの入り、もっと言えば病人や交通事故で大怪我をした時という一刻をあらそう瞬間などキッチリ時間に間に合わせなくてはいけない場所ならまだ分かりますが…。

それ以外のシチュエーションで遅刻をしてはいけない理由は予定が狂うからでしょうか?それとも自分は辛さを我慢して早起きしたのにコイツは何様のつもりだという許せない感情があるからでしょうか?

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著作者 阿乃

そういった理由でイラっとする人はジョージ・ジョースター卿の様に逆に考えてみましょう。
相手が遅刻してくるからこちらの予定が狂うと考えるのではなく自分が好きに使える時間が確保できたと考えるのです。

相手が来るまで適当に街並みを歩いて行く予定のなかったお店に入ってみる。人間観察をしてみる。スマホのアプリで新記録を目指すなどもしかしたら未知の発見や出来事が体験出来るかもしれない…。そう考えるとイライラすることはなくなるんじゃないでしょうか?

代々木ゼミナールで英語講師をしていた西きょうじ氏の著作である情報以前の知的作法にもこんなことが書かれています。
私も人一倍忙しい日々を送っているので人と待ち合わせるときに無駄な時間を使いたくないという気持ちはあります。仕事関係ならばなおさらです。

しかしそれでも待たざるを得ないときなどは、身体で遊びます。身体の重心を少し動かすとどう感覚が変わるか、足の指への体重のかけ方を変えると内臓がどう反応するか、などと微妙な動きをしているとそれに夢中になり、1時間くらいならば立っているだけで退屈はしません。

またデートなどだと、それだけで楽しくなってきます。夜に月にかかった雲がはれるのを待つ、早朝、鳥がさえずり始めるのを待つ、ワインを開けてから状態が上がってくるのを待つ、そういう「待つ」行為は時間を豊かなものにしてくれます。
この待つという感覚は現代人が失ってるものではないかと思う訳です。待つことを良しとする寛容さから生まれる社会の方がギスギスせずに生きられるのではないかと。

本書を読めば分かるんですが江戸時代の時は太陽の位置(刻という二時間おきという意味)で待ち合わせしていたらしいですし、待つもまた楽しいという感覚があったと言われています。

遅刻という一つの事柄から現代社会が抱える問題点にまで言及しているオススメな良書です。読んでいると不思議な感覚になります。



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家入一真氏も似た様な発言をしています。この考え方が家入イズム。
僕らは隙間時間の使い方が下手になっちゃってるんだと思う。相手に遅刻されたり、なかなか電話に出てもらえなかったりする時は、その事ばかり考えてイライ ラするんじゃなく「時間の余白が出来た」と思って妄想や頭の整理をしたらいいさ。自分の時間を他人に依存するから遅刻を許せなくなる。
江戸時代の人間の様な価値観ですがこの緩さが彼の強力なアイデンティティーとも言えます。
「自分含め人間みな迷惑をかけている存在なのだから他人を許せる社会が良い」という彼の根っこにある価値観を含めて一貫性があります。ただの泥棒ヒゲな男ではありません。



ちょっと強気な姿勢と放任さがあってもいい。
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著作者 Sant-Davalos

要は相手が遅刻して遅れますといった連絡がきた場合、「お前がそれだけ遅れるなら俺も楽しませてもらうし適当にうろついてるから気にしなくていい」ぐらいのオラついた姿勢があった方が遅刻する側からすれば楽になれます。(高速バスだとかレンタカーで遠出するといった状況は流石になるべく遅刻しないようシビアに捉えてますが。)

学生時代の時なんかは無意識に遅刻が許せないタイプの人間でしたがそもそも遅刻は悪い事なのかどうか考えたことも無かったので思考停止してましたね。西きょうじの著書や家入一真氏の発言から考え方がガラリと変わりました。

人は生まれた時から迷惑をかけているのだから他人の迷惑も許せた方がいいじゃないかという考え方の方が今の時代、生きやすいでしょうし、遅刻については寛容でありたいものです。皆さんはどうでしょうか?では今日はこの辺で。

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人生は苦難の連続だ。努力すれば努力しただけ報われる世界なんてのは受験勉強の世界だけだ。そんな不貞腐れたくなる気分になるのは誰にでもあるでしょう。
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例えば情熱大陸を見た後の月曜日なんて正にそれ。テレビの向こう側に映る生き生きとした有名人を見ては自分も頑張ろうと思うモノの実際、自分の人生なんて比べてみた所でそんなにパッとしない。

情熱大陸を手掛けているスタッフは視聴者にそういう思いをさせている事に気づいた方が良い。いくらなんでも演出の仕方がカッコつけすぎだ。
さて…この番組を見た後の月曜日に凹んでしまうのは別に珍しくない。ところで最近気になる本を見つけた。絶望手帖というやつだ。


この本、偉人や有名人のネガティブな発言をまとめた内容という非常にクレイジーな作りになっている。名言集は山ほどあるのに影の部分を露わにする本は今まであったんだろうか?

何にせよ、今回は絶望手帖に思わず共感してしまった人達や星5つのレビューをかましたスーパーネガティブ人間向けの曲を紹介してみようと思う。音楽家も一人の人間なのでもちろん絶望するのは日常茶飯事。絶望し過ぎて気が狂ったのか?と言いたくなるぐらいの曲ばかり。

言わずと知れた名盤中の名盤であるNirvanaのNever Mindからの曲、Something in the wayだ。もうダメだ。イントロからしてもう死にたくなる曲調で何もしたくなくなる。途中から入ってくるチェロが余計に暗さを助長して困る。この曲を聴くとカート・コバーンがいつ死んでもおかしくない状態にあると分かるぐらい曲全体が陰鬱な雰囲気で嫌になる。

正直この曲の再生回数が240万回近くというのが衝撃的だ。お前らそんなに人生に絶望してるのかと。イイネ!ボタンが押された回数が14000近くとかドMを通り越してもはや色々と達観してるんじゃないかと疑いたくなる。まあ絶望を味わいたいリスナーには文句なしのおススメ曲なのでNirvanaを知らない世代の若人も是非聴いてみよう。




次はこれだ。無調による表現主義という一種の近代音楽を作り上げた作曲家であるシェーン・ベルクの代表作である月に憑かれたピエロ第一部。

この曲も出だしの部分からしてかなり強烈。実はこの曲、12音技法というピアノの白鍵と黒鍵を全て平等につかうことでホラー映画の様な…気が狂った様な作風を醸し出している。

音楽というものには必ず曲の土台となるKeyが必ず存在する。この曲はその概念から解放されることを想定して作られた訳だ。

映画やドラマやゲームで不穏な曲が流れる時は大体この12音技法を元にして作られている事が多い。にしてもこの曲…確かに不気味ではあるがどこかメランコリックで狂気さの中に心地良さが共存しているのが恐い…。どうせ絶望するなら美しく悲劇の主人公をきどっていたい…。そんなネガティブ率100%な人は是非ともこの甘美な絶望に浸ってほしい。


次はホラーゲームの名作として知られているSIRENのサントラから刈割。ゲームをやったことのある人なら腐るほどこのBGMは聴いてきただろうと思う。

雨が降ってる時にこの曲を流したらそこはもう羽生蛇村だ。部屋を暗くしてこの曲を聴いていたらもはや末期症状。絶望感に悲観した先にいっそのこと早く屍人になってしまいたくなるだろう。

とは言え作曲をやってる人間からするとSIRENのサントラは本当に良く出来ていて驚く。ホラー系の音楽というのは実は中々作る機会がなかったりするし、すすんで頻繁に聞く人間なんてほとんどいない。

このゲームのサントラの作曲者はこれだけ恐怖を感じさせる曲を作って気が狂わないのか不思議でしょうがないんですよ。音色や声ネタ一つとっても絶妙な音作りで声ネタはどこから録ってきてどう加工しているのかが気になります。そして音と音の間の使い方が秀逸。どこで拍子をとるのか分からなくなるぐらいの浮遊感がよりホラー要素を強めています。ホラーアンビエントの傑作。




この曲を紹介して終わりにしておく。いい加減もういいだろう。暗い気分になるのは。そんな絶望を感じるのに締めの曲としてこれほどふさわしい曲はないと思う。

あの頃はまさかニートになったりひきこもりになったり社畜自慢するリーマンになったり辞めどき間違えた残念なアーティストになるなんて微塵も思ってなかった…。

親子で銭湯にいって風呂上りにこのアニメを見ながらコーヒー牛乳を飲んで帰る昔の光景がフラッシュバックして本当に死にたくなるからやめろと言いたくなる輩もいると思うのでこの辺にしておく。

やっぱり一番恐ろしい絶望というのは今という瞬間に押しつぶされる日々のことなのかもしれない。確かに我々人間はいつでも前向きになれるほどスーパーマンではない訳で…だからこそたまにはこういう毒素に浸りたくなる時を肯定した方が前向きに生きられるのではないでしょうか?絶望もたまには必要なのかも!?では今日はこの辺で。



The Smiths Google Images
皆さんにとってロックとは何だろうか?エレキギターの歪んだ音だろうか?SEX、ドラッグ、ロックンロールだと歌って派手なステージで歌う様?グルーピーと夜な夜なあんなことやこんなことを楽しむ状況?違うよ全然違うよ。

ロックというのは既存の世界に存在する理不尽なことにNOとアンチテーゼの姿勢を見せつけることです。そういう点でいえばザ・スミスは本当の意味でのロックを体現していたバンドだと思う。もう今の若手のロックバンドからすれば存在すら知らないかもしれない。

とは言っても彼らの音楽の特徴は正に弱者側からの攻めの一手、または代弁者と言える音楽だと言える。この本質自体は今でも後世のロックバンドに受け継がれている。

事実今の売れているロックバンドを見てみろ。みんなナヨナヨした様な弱弱しい顔つきで絶叫している様は無意識にでもモリモリモリッシーのイズムを引き継いでいる様に見えるぞ。神聖かまってちゃんとかは音楽性が違えども割と似た雰囲気を醸し出していると思う。

虐げられた者の苦悩を代弁。

本人の演奏を紹介する前にまずはこちらを。ザ・スミスを知ったキッカケはRadioheadのこの動画から。Radioheadが好きで好きでしょうがなかった時期、彼らのルーツを知る機会があればどんな音楽でも物色していたがスミスの曲を知った時に早々と本人の音源も聴いてみた。

ジョニー・マーのコーラスギターが心地いい。ポリスのアンディ・サマーズとはまた違ったポップな趣がある。そしていかにも80年代の雰囲気が漂う残響音が加わったモリッシーのボーカルが妙に懐かしい感じすらしてくる。

サウンドについてはこの辺にしておいて、スミスの真骨頂は何と言っても歌詞!その一つに尽きる。この曲にはこんな事が歌われています。
家に帰りたいよ
こんなところにいたくない
こんなおかしな教育には耐えられない

Mid-week on the playing fields
Sir thwacks you on the knees

週の半ばの校庭で
ぴしゃりと足でひっぱたかれ

Knees you in the groin
Elbow in the face
Bruises bigger than dinner plates

股間を蹴られ
顔にはヒジが飛んでくる
ディナープレートよりも大きなアザができる

要するに学校で行われている理不尽な体罰教育の事を歌っているのですがこの歌詞がめちゃめちゃ良いんですよねえ…。普遍性がありますし学校に馴染めない人間は80年代から30年以上経った今でも後を絶ちません。逃げたければ逃げてもいいことを肯定してくれる音楽って今の時代かなり必要だと思うんです。そんな鬱憤を高らかに歌い上げるモリッシーの歌詞にはジャンルは違えどもピンクフロイドのロジャー・ウォーターズと共通している色褪せない言葉の力が込められています。



彼らの代表曲でもあるHow soon is nowです。ブツ切れになったギターサウンドがどこかテクノチックでハーモニクス音?が曲の良さを引き立てています。このバンドはやっぱりジョニー・マーのギターも大きな核になってますね。

歌詞の内容は薄暗くとてもリアルな歌詞なんですがモリッシーが歌うと儚げな美しさがあって抒情的な詩になってしまうのは彼らの唯一無比のオリジナリティーだと言えるでしょう。
君は口を閉じたまま
それじゃ何も言えっこないじゃないか

僕は何でも悪い方に持って行ってしまう
僕は人間 他のみんなと同じように
僕だって愛されたいんだ

クラブがあるよ、行きたいと言うのなら
本当に君のことを愛してくれる誰かさんに
出会うこともできる

だから行けばいい
そして一人で立っていればいい
そして去る時も一人ぼっち

君は家に帰って泣く
君は死にたくなる

何て暗い歌詞なんだと思うでしょう。この歌詞だけ読んだら誰もこのバンドがイギリスで絶大な人気を誇っていたなんて微塵にも思わないでしょう。しかしここが音楽の面白い所で歌詞がここまで絶望な内容だとしても楽器とボーカルの工夫次第で実に美しく詩的な作品に仕上がる訳です。

しかしこの歌詞も共感できますねぇ。いや共感できる自分は完全に非リア充なんだろうか?といってもですねぇ…多数派からこぼれ落ちた少数派を汲み取る姿勢の音楽が一世を風靡したっていうのがめちゃめちゃカッコいいじゃないですか。ザ・スミスはロックでもありどんなパンクバンドよりもパンクだったんです。

以上、敬愛するバンドであるザ・スミスの紹介でした。ひきこもりやニートこそスミスの世界観に魅了されるでしょう。では今日はこの辺で。


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著作者 キイロイトリ

遂にブログの記事数が250を超えました。万歳万歳万々歳!!しかも毎日更新というスタイルを維持しつつ!!ここまで続けていくとブログのPV数が伸びる傾向というのが最近分かってきました。

過去の記事が力を発揮する瞬間。
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ブログはとにかく量をこなすことだと最近実感しています。単純に記事の数が多ければ多いほど読者に読まれる機会は増えていきます。これは何故か?過去に書いていた記事のテーマが世間で流行の対象になると皆がその流行り事について検索する様になり、アクセスが集中するのです。
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例えばこのブログではフリースタイルダンジョンについて結構な記事を書いていますが今になってスナフキンがこの番組で快進撃を果たしたことによって自分が過去に書いた記事が結構読まれています。

通常のアクセス数の2.5倍にまで倍増しててこれにはちょっとビックリです。タイトルもドンピシャなのも一つの理由ですが…。それがこの記事→スナフキン…誰やねんお前!呂布カルマはMCバトル界の良心。
このケースで分かるのはやはりタイトルがめっちゃ重要ってことですね。スナフキンありがとう。Mr.誰やねんって言ってくれてありがとう。でも記事の内容は呂布カルマがメインなんだ。ごめんね。でも検索ワードが「誰やねん」で検索してきた人がいた時はちょっと面白かったぞ。



カイジの沼とブログは似ている。
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カイジのこのシーン…いやあこれは鬼気迫る瞬間ですよねえ…。このクルーンに群がった銀玉の様にブログの記事を数多くこなしていればクルーンを攻略できるかの様に一発当たる記事っていうのは出来上がるんですよ。



あと重要なのがアナタしか取り上げないであろうテーマや人物を記事にすることでしょう。仮にその対象が世間で流行った瞬間、検索した時にアナタのブログの記事が第一に出てくるからです。実際これで常に閲覧されている記事があります。

それがこれ→NoDJ・1MC!?チプルソはMCバトルから卒業した方がいい。
チプルソと検索すると1ページ目にこの記事が出てきます。チプルソを取り上げているページというのもそんなに少ないのとフリースタイルダンジョンの相乗効果も相まってよく読まれています。

俺はウサギにはなれないのでカメになるしかない。
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著作者 laszlo-photo

何故ブログを毎日更新し続けるのか?それは常日頃自分自身を自己紹介し続けて認知度の上昇と音楽の仕事を増やしたいからです。言うまでもありません。好きな事を生業に出来ている人間の裏側には共通して日々の努力が裏付けされています。

ただ、ブログの書き方が上手い人やバズりの極意を知ってる人なんかはウサギ型の人間で毎日更新していなくても好きな事を仕事に出来ることでしょう。

しかし自分はそういう戦略の組み方というのがどうも苦手です。となると地道に数をこなすしかないのです。ここで大事なのが自分がカメ型の人間だったら継続できそうなモノ、やっていて楽しい事を選択することです。

自分の場合それがブログだったというだけで。PC一台とネット環境があればどこでも作業が出来る。しかも情報が蓄積されていくので徐々に関心をもって読んでくれる人間が増えていくというこの利点はブログならではだと思います。

あとは音楽制作と違って一日で作品を完成できるという手軽さもありますね。これは結構デカい。という訳でブログを続けて今に至る状況を振り返った記事でした。では今日はこの辺で。



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著作者 キイロイトリ

リスナーの心に響く歌詞とはどういった歌詞の事を言うのか?これは永遠のテーマであり、これといった正解はないのかもしれない。そうは言っても時代性を問わない名曲やオリジナリティーのあるアーティストの曲を聴くことでそのヒントが隠されているかもしれない。

歌詞はバックの音楽があって初めて効果を発揮する。
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みなさんも経験があると思うが歌詞カードだけ見てもその詩の内容に心揺さぶられることはないだろうと思います。歌詞というのは音楽があって初めて意味をもつのです。もっと突っ込めば楽器隊の編成、メロディーライン、ボーカリストのキャラや背景によって歌詞の意味合いすらも変わってくるでしょう。

例えばこの曲。もはや永遠の名曲クラスですがクリスマスイブの歌詞はただ字面だけをおってみると特にこれといった特徴はありません。にもかかわらずこの曲は過去から今、未来へと語り継がれる普遍性があります。

それは何故か?やはり山下達郎の透き通ったあの歌声と切なげなメロディーラインがあるからこそ成立するんだと思います。良い歌詞というのは言葉だけを工夫するのではなくバックのサウンドやメロディーによって生まれることをこの曲は証明しています。



時代性を問わないテーマを歌詞にすることで生まれる色褪せなさ。
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著作者 EJP Photo

時代性を問わないことをテーマにした歌詞には普遍性が生まれます。恋愛をテーマにした曲が多いのはいつの時代でも共通性がありピックアップしやすいテーマだからです。

また、時間の流れや子供から大人になった瞬間の感情の変化、学校生活の出来事や過去に対する懐古というのはほとんどの人間が経験し、考えることです。洋楽ですがPink FloydのTimeという曲は今から40年も前に創られた楽曲ですが歌詞の内容は今でも通用するぐらい全く色褪せません。

引用元はproglyricsから。
カチカチと刻まれる一瞬一瞬が 退屈な一日を作り上げるけれど
お前は何の準備もせずに時間をつぶしムダにする

地元の狭い土地をうろつきながら
誰かか何かが 行くべき道を示してくれるのを待ちながら

太陽の下で横になっていたり 家にこもって雨を見ているのにも疲れ
お前は若く人生は長く、そして今日もまた退屈な一日

そしてある日10年もの歳月がお前を通り越していったことに気づく
誰も いつ走ればいいなんて教えてくれなかったし、スタートのピストルの合図も聞き逃したのだ
 


お前は太陽に追いつこうと走って走って走りまくった、しかし太陽は沈んで行くところだった
そしてまた一周して再びお前の後ろに顔を出すのだ

太陽は相対的に何も変わらず、ただお前だけが年老いていく
息切れは激しくなり、ある日今よりも死がより身近になっているのだ

一年の長さはどんどん短くなり、その時を見つけることは不可能に思えてくる
計画は失敗に終わるか、ページ半分ほどのなぐり書きに終わる

静かな絶望の中で待ち続けているというのが、イギリス方式というわけか
その時は行ってしまった、歌も終わりだ、言いたいことはもっとあるのだが

時間が無慈悲に流れては怠惰な生活をおくってしまった人間を題材にした歌詞ですが皮肉がこもったいかにもイギリス人が書いた様な歌詞ですが今聴いても古臭さがまったくありません。良い歌詞とはどういった歌詞なのかを定義すると正にこういったいつの時代に聴いても違和感がない様な歌詞のことを言うのではないでしょうか?



イタイか?イタクないか?
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これは意外と重要な要素だと思います。今でこそ日本語でロックやポップスをやるというのはスタンダードな形式ですが工夫をこなさなくてはダサさとイタさが入り混じった歌詞になってしまい日本語で歌う時の大きなハードルとなります。

純粋にカッコイイ、気のきいた言葉使いを日本語で表現した先駆者としてはやっぱり「はっぴいえんど」を紹介しない訳にはいきません。比べて同時期にデビューした矢沢永吉の当時の歌詞は今聴くと正直古臭さを感じずにはいられませんが、はっぴいえんどの言葉の選び方のセンスは今でも色褪せません。

宮沢賢治に影響を受けた様なですます調の言葉使いのセンスは当時のリアルタイム世代の人間にとってどれだけ衝撃的だったかはちょっと想像がつきません。
街のはずれの 背伸びした路地を 散歩してたら 汚点(しみ)だらけの 靄(もや)ごしに 起きぬけの路面電車が 海を渡るのが 見えたんです

それでぼくも 風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて 蒼空を翔けたいんです 蒼空を

とても素敵な 昧爽(あさあけ)どきを 通り抜けてたら 伽藍(がらん)とした 防波堤ごしに 緋色の帆を掲げた都市が 碇泊しているのが 

見えたんです それでぼくも 風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて 蒼空を翔けたいんです 蒼空を

人気のない 朝の珈琲屋で 暇をつぶしてたら ひび割れた 瑠璃(がらす)ごしに 摩天楼の衣擦れが 舗道をひたすのを見たんです

それでぼくも 風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて 蒼空を翔けたいんです 蒼空を
ステレオタイプなロックンロールにありがちな歌詞の要素が一切見当たらず、古き良き日本の光景が浮かんでくるかのような様を美しく詩的に表現しています。こういった日本の情緒をイタクない単語選びで歌詞にするのは日本語ロックの一つの完成系ではないかと。

そしてこの手法…実はヒップホップにも使えるのではないかと考えています。日本語でラップすることの難しさはメロディーがあって言葉の情報量が少ないロック以上に難しいものですがそこを突破するためのヒントははっぴいえんどの曲に隠されている気がしてならないのです。そのことについてはまた別の機会にでも記事にしてみようかと。

以上、日本語詞の良さの条件は?ということをテーマにしてみましたが自分用のメモという意味でも
書きあげました。では今日はこの辺で。



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