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なにこの曲…酷いねこれと言われたことがあるかい?そんな時のへこみ具合は半端じゃないよね坊や…。

はい。という訳で写真の人物に合いそうなセリフから始まりました今日の記事。今回は自作のオリジナル曲を全面否定されたときの考え方についてです。

ようやく楽器の弾き方や音楽の知識が身について、せっせとPCとにらめっこして曲を作る日々を経て、ようやく完成!!よし!これはイケル!この曲めっちゃいいわ!と思いますよね?

そして渾身のドヤ顔で友人や音楽仲間に聞かせてみる訳ですが、首をかしげたり、苦笑い…酷評されたなど、へこむ必要はありません。そんな時はいっそのこと最低クラスなまでの最低な音楽を作れるよう努力しましょう。

中途半端な駄曲よりも最底辺な曲を人は評価する。
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これはグレーゾーンよりも黒か、白かの極端な方が評価されやすいということ。
メジャーとアングラ…この2つの要素を組み合わせた楽曲が最も理想的ですが、大半の場合だといい曲なんだけど印象には残らない…。それか中途半端な内容で表現したいことが伝わってこないなどというケースに陥ってしまうものです。

ならばいっそのこと振り切った方がどうあれ印象は残せるものになるんですよね。これは音楽だけでなく料理でもそうです。何を隠そう今回の記事はこの動画を見て閃いたのです。

日本一不味いラーメン決定戦でチャンピオンになった彦龍は最低クラスにまで不味いラーメンをだすということで、人気が広がりました。そう…単純に評価が低いことはプラスの方向に働きませんが、とことんまで最低さを極めたものになると逆に人は注目するのです。

その結果、美味いラーメンを食べるのではなく、ある種の怖いものみたさに興味を惹かれてお客さんは食べに来る。どれだけ不味いのかが気になるんでしょう。マイナスもとことんまで突き詰めるとプラスになるから人間の心理って面白いですねぇ。
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これは歌でも同じです。中途半端に好かれる声よりもものすごく美しい声か、クセがありすぎて評価が分かれる声の方が音楽をやっていく以上好ましいんです。

宇多田ヒカルやエンヤにサラ・ブライトマン…彼女らはまさに美しい声や癒しの歌声の最高地点に位置しています。彼女らが評価されるのは当然です。

だけどその逆…例えばニール・ヤングや
忌野 清志郎、リアム・ギャラガーといった決して上手い訳ではないボーカリストでも個性やクセが強いのが評価される1つの要素にもなり得るのです。

ある意味、避けなくてはいけないのはやはりその中間地点にいることでしょう。もちろん歌は上手いにこしたことはないんですが、それ以上にやはり個性が大切になってきます。料理も音楽もオリジナリティーが重要…これは不変の事実だと言っても過言ではありません。

バンドでも同じです。こちらのキャプテン・ビーフハートの曲は純粋に下手なのではなく、各パート全て計算づくでやってる訳ですが、彼等を知らない人が聴いたら単純に素人が複数集まって音を鳴らしてるだけにしか聴こえません。

しかしこの計算されたハチャメチャさに当時のリスナーは魅了されたのです。楽曲のKEYも決まってない。リズムもバラバラ。フレーズもごちゃまぜという最低ラインを突き抜けたこのアルバムは発売当時1万枚も売れたと言うから信じられません。



複雑さの極みを追求した彼等の音楽は後世にまでかたられ、元レッチリのジョン・フルシアンテやZazen Boysの向井秀徳にまで影響を与えました。トラウト・マスク・レプリカを聴いて拒否反応がでた人はセイフ・アズ・ミルクで口直ししましょう。こちらは聴きやすい作品。

以上、最低ラインを極めることで生まれる美学について記事にしてみました。思えばこの考え方は他の分野でも言えることですね。ゲームもそうじゃないですか。

どっちつかずな糞ゲーよりも糞過ぎる糞ゲーだからこそあの48(仮)は注目されたんですから。やはりものづくりするなら白か黒ですね。では今日はこの辺で。