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はい、ジョン・ケージという作曲家を知ってる人~手を上げてー。って誰もいない?近代や現代音楽を聴いた事のあるごく少数派の人なら知ってるんだろうけど、その界隈ではとても有名な人なんです。この人が作った楽曲で超問題作と言える4分33秒という曲があるんだけど、聴いてみよう。トリビアの泉で紹介されたことがあるから、もしかしたらこの曲は知ってるっていう人はいるんでないかな?

全3楽章の構成で作られた楽曲です。そんでもって曲の内容…ふざけるなと思いますか?なんだこれ?と思いますか?こんなんで金とるなと思いますか?まあそう思われてもしょうがない。この楽曲は全パートが休符で構成されている世界で唯一の無音の曲なんですから。

この曲に込められた意味を独断で考えてみる。
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この4分33秒という曲…指揮者も奏者も一切演奏はしません。となればこの楽曲は他に音が鳴る要素…それはお客さんのくしゃみだったり足音…椅子を叩く音や笑い声だったりする。つまりこれらも音楽となり得るという主張がしたくてケージは作ったのではないでしょうか?

しかも同じ演奏は二度とないというJazzにも通じる即興性の強さを楽譜に沿って演奏するというオーケストラの形式のままやってのけるんですから、実に摩訶不思議な曲でもある訳で。

どんな音でも音楽になり得るというのは、とても優しい考え方。
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そう思いませんか?ただの雑音でも音楽になるということは、そこに音が鳴るだけで意味があります。誰でも演奏できるし、どんな人が鳴らす音にも意味があるという寛容さ…これって生き辛さを感じざるを得ない現代社会には必要な考え方にまで拡大解釈出来るんですよ。

他者に対して必要とされたいと思う気持ちが強い人達は、極論自分が存在している意味を見いだせずにいる人達です。ニート君やひきこもり君、社畜なんかが該当するでしょう。初めから必要な存在だと認識されていれば、下手に暗い感情に支配されることはないのです。

彼等は音楽で例えれば雑音…ノイズの様な存在に例えられます。ただ、そんな人達でも社会に存在している意味があるし、その場にいてもいいという寛容さのある社会が4分33秒に込められていると言っても過言ではありません。繰り返しますが、ケージからすれば、雑音ですら音楽になると言っているんですから。

という訳で4分33秒が何を意味しているかを主観で考えてみました。芸術なんてのは全て誤読や見誤りで成立してます。作曲家の意図を完璧に読み取れるのはその人自身以外に存在しません。ですから、聞き手がどう誤って解釈しても間違いではないのです。さああなたはこの曲を聴いてどう思いますか?では今日はこの辺で。